先に生きた人から受けた思いやりと知恵は、私たちがそれをどう生かすかによって、生き続けます。
ふだんの1日の途中で、亡くなった人のことがふと思い浮かぶことがあります。食事の支度をしていて、台所で隣に立っていた姿を思い出す。難しい決断を前に、その人がいつか言っていた言葉がよみがえる。誰かをなぐさめようとして、気づかないうちに、あの人の口ぐせを使っている。
その人がいないことは寂しいものです。それでも、こうした瞬間に、その人の人生の何かが、今も自分の人生を支えてくれていると気づきます。
人からもらったものの多くは、分かるまでに時間がかかります。若いころには深く考えずに受け取っていた親切が、年を重ねるにつれて、かけがえのないものになることがあります。自分も苦労を経験してはじめて、何気ないふるまいにどれほどの忍耐や勇気が必要だったかが分かってくるのです。
ですから、亡くなって何年たっても、その人を思い出すことで新しく学ぶことがあります。理解が深まるにつれて、問いも深まります。その人からもらったものを、今の自分の暮らしにどう生かしていけばよいのだろう?
残り続ける教え
ある女性が、母親の話をしてくれたことがあります。親戚を交えて食事をしていたとき、その中のひとりが、その場にいない人を悪く言い始めました。すると母親は静かにスプーンを置いて、こう言いました。「あの人がどんな思いをしていたのか、私たちには本当のところは分からないでしょう。軽々しく言うものではありませんよ」
母親はそれ以上何も言いませんでした。少し沈黙が流れ、話題は別のことに移りました。
この女性は、母親がこうして応じる姿を何度も見てきました。母親が亡くなって10年以上たった今でも、誰かをすぐに決めつけそうになると、その言葉がよみがえるといいます。
母親の声は、この女性自身の良心の一部になっていました。軽率なことを口にしそうなとき、その声が立ち止まらせ、相手の人生に思いを向けさせてくれたのです。
私たちの多くも、こうして何かを教わってきました。誰かが見知らぬ人にどう接するか、どう過ちを認めるか、お返しできるものが何もない私たちのそばにどう居続けてくれたか。そのふるまいが、思いやりとはどういうものかを見せてくれたのです。
言われたことの多くは忘れてしまったかもしれません。けれども、その人と一緒にいたときにどう感じたかは覚えています。その記憶が、今も人への接し方をかたちづくっています。
思い出を行動に変える
受け取った知恵は、使うことで育っていきます。
誰かの忍耐のおかげでつらい時期を乗り越えられたなら、今度は自分が、ほかの人の困難を受けとめる余裕をつくることで、その忍耐に応えられます。温かく迎えてもらったことを思い出したら、居場所がないと感じている人に、その温かさを渡すことができます。
どれも小さな選択ですが、確かに何かを変えます。誰かの孤独が少し和らぐ。きつい言葉を飲み込む。じっくり耳を傾けたことで、会話が始まる。こうした瞬間を通して、自分が受け取った愛とエネルギーが、別の人に届いていきます。
もちろん、大切な人を思い出すことは、いつも簡単とは限りません。感謝と一緒に、傷を抱えていることもあります。寛大さを教えてくれた人が、自分には短気に接する人だったということもあるでしょう。ひとつの関係の中に、贈りものと傷の両方があることもあります。
気持ちをすべて整理しなくても、価値あるものを認めることはできます。受け取ったよいものに感謝しながら、つらかったことは繰り返さないと選ぶこともできます。これもまた、あとに続く人を大切にするひとつの方法です。
何を受け継いでいくかには、心を向ける価値があります。教えをひとつ実践するたびに、それは私たちが次へ渡していく人生の一部になります。
誰かの学びになる人へ
受け取ったものを実践していくと、そこに自分の人生で得た理解も加わっていきます。教えは、それを生きようと自分で苦労したときに、いっそう深みを増します。
長い病気の人に付き添ったあとでは、忍耐の意味が変わります。失敗を経験したあとでは、励ましの言葉を慎重に選ぶようになります。心のこもったひとことがどれほど大きいかを知るのは、自分にもそれを必要とした時があったからです。
これが、目覚めた年長者へと成長していくことの一部です。人生から学び続け、その学びを人の役に立てることです。
人生の後半は、そのための貴重な機会です。子育てなどの責任が軽くなったり変わったりすると、ふり返る時間や、家族の外に貢献する時間が増えることがあります。自分の経験が、近所の人や年下の同僚、さらに広い地域の役に立つこともあります。
けれども、年を重ねれば自然に知恵がつくわけではありません。同じ反応を、見つめ直すことなく何年も繰り返すこともあります。価値のあることを学んでも、自分の中にしまっておくこともあります。
知恵を身につけるには、2つのものが必要です。自分がまだ分かっていないことを認める謙虚さと、役に立ちそうなことを人に伝えようとする気持ちです。
ここで道しるべになるのが、自分の師となった人たちの記憶です。その人たちの言葉が届いたのは、言葉の背後にある生き方を信頼していたからです。私たちの悩みを真剣に受けとめ、自分で道を見つける余地を残してくれました。力になりたいという気持ちが伝わってきました。
同じ敬意を人に向けるとき、自分の経験は受け取ってもらいやすくなります。いつ自分の話をすれば役に立ち、いつ黙って耳を傾けるほうがよいのかも、感じ取れるようになっていきます。
ある年齢になるまで待つ必要はありません。人生のどの時期にいても、目の前の1日にどう向き合うかが、誰かの力になっているかもしれません。
亡き人を思い出す時間
心を配って人を導くことを学ぶなかで、自分を導いてくれた人たちの姿に立ち返ることができます。少しの時間、意識して思い出すことで、その教えがはっきり見えてきて、今の暮らしに生かす道が見つかります。
何度か呼吸をして、亡くなった人をひとり、思い浮かべてみてください。日常の思い出をひとつ、浮かんでくるままにします。よく見たしぐさ、交わした会話、一緒に過ごしたひとときでもかまいません。
しばらくその思い出のそばにいましょう。当時は分からなかったけれど、今なら分かることは何ですか?
その人はどれほど疲れていただろう、それでも自分のために時間をつくってくれたのだと気づくかもしれません。余計なお世話だと思っていた助言が、今向き合っていることにまっすぐ語りかけてくるかもしれません。
それから、自分に尋ねてみてください。この気づきを、今日の暮らしにどう生かせるだろう?
小さな行動をひとつ選びます。相手が話し終えるまで待つ。気になっていた人に連絡をする。同じようにその人を恋しく思っている家族に、その人のよさが伝わる思い出を話す。
思い出すうちに悲しみがわいてくることもあります。急いで追い払わなくてかまいません。感謝と悲しみは、心の同じ場所にあることが多いものです。
私たちを大切にしてくれた人たちも、いつまでも一緒にいられたわけではありません。それでも、その人たちが残してくれた何かが、次の一歩を支えてくれているかもしれません。その贈りものに気づいて生きるとき、贈りものは誰かの人生の中で続いていきます。




