目に見えるものだけを信じてはいけない理由

太陽が昇っては沈みます。
本当は太陽は昇りません。
地球からそう見えているだけです。

人は前だけを見て話します。
「私は東向きに立っている」
左右を見ると北と南があり
前後には東と西があります。

私たちが見ている前は
一方向に過ぎません。
私たちが見ている現象は
とても不完全です。

しかし誰もが
自分の状況だけで見ます。
だから対立や葛藤が起こるのです。
自分にだまされているのです。
自分の感覚にだまされています。

では本当の私はどこにいる?
私が存在している場
その「場」は言葉で説明できません。
その「場」には生死がなく
東西南北がありません。
すべてを含んでいるところが
その「場」です。

「生まれた」も「死んだ」も現象です。
現象と幻想の間に私たちはいます。

見たり感じたりする現象以前の
根源的な存在のあるところ。
それがその「場」です。
それを「光明の場」と言います。

人類史は対立と戦いの歴史です。
多くの現象と摩擦の中で
誤解や憎悪が生まれ
恩人と仇敵ができます。

すべてをひとつにすることを
解冤相生と言います。

誰が解冤するのでしょうか?
※解冤:恨みを解くこと

相生はどのように?

「光明の場」に行けるとできます。

私たちは共生か、共滅かという状況にいます。
それが現実です。
コロナがそれを教えてくれました。

その「場」がわからないと
偉大な聖人が現われたとしても
決して解決できません。
難しくはありません。

笑う筋肉があります。
なのになぜ笑わないのでしょうか?

出会う人に笑顔の筋肉を使うと
どれほど幸せかがわかります。

笑顔の筋肉の中から
明るい光が放たれます。
明るくなければライトをつけます。
暗いからライトをつけます。

簡単な道理を知らず
ただ明るくなるまで待っています。
明るければライトは必要ありません。

「光明のスイッチが私にある」
「幸せのスイッチが私にある」

これをわかるのが悟りです。

「これは生命現象だ」
そう感じながら生活し
そこに集中して生活していると
自分がその「場」にいるとわかります。

先に変化するのは誰か?
誰がする?

自分がまず変化します。
とても簡単ですが偉大な真理です。

尊重されたければ尊重しましょう。
愛されたければ愛しましょう。
自分がされたいことをするのです。

悟って道人になればするのではなく
道人のようにすれば道人になります。
真似するうちに道人になります。

真似は難しくありません。
道人になるのは大変ですが
真似するうちに道人になります。

私たちには道人のDNAがあります。
それが神性です。
その神性をただ使えばいいのです。
これが脳教育です。

「私は望めばいつでもその『場』
『光明の場』に条件なしに戻れる」

生活の中でそれを
あなたが悟ることを願っています。

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