【オーディオブック】ネガティブな感情や記憶から抜け出す方法~『セドナ・メッセージ』|瞑想ガイド

だれにでも、自分の成長の邪魔になることを知りつつ容易に手放せない感情や記憶があるものです。しかしどんなに深い傷や感情や記憶でも手を引けば手放せます。時間もかかりません。すぐにでも手放せます。問題は、感情と記憶というものを自分自身からあっさり分離できずに、一方ではそれにしがみついて手放したがらない気持ちが存在するところにあります。

悲しい、寂しいと訴える人びとの中には「悲しい、悲しい」と言いつつ悲しみにしがみつき、「寂しい、寂しい」と言いながら孤独の中にいっそう深く入りこむ人が多いのです。その感情をぎゅっと握りしめて放さずにおきながら、抜けだしたいのにそれができないと言って苦しみます。私はこのような人びとを見ていると、まるで野壷(のつぼ)に片足がはまったまま泣いている子どもを見ている気になります。野壷はそれほど深くもなく、単に片足がはまっているだけです。えいっとばかりに足を引き抜けば済むことですが、子どもは泣き止まずママを呼びつづけます。

私たちが執着するのは過去の影にすぎません。しかし、それが過去の影であることを認識できないまましがみつく限り、永遠の現在となり、私たちに付きまといます。たとえば、古傷があるとしましょう。傷は癒えても大小の傷跡を残します。それはただの傷跡であり、幸せで健康な人生を生きていくのに何らの支障も及ぼしません。ですが、今は完治して痕跡が残るばかりの傷を眺めつつ、依然として自分を患者だと勘違いする人であれば、決別したはずの病気も再発し、治ったはずの傷も悪化するものです。

どうしたら否定的な感情や記憶から逃れられるのでしょうか。まず自分に冷静に問いかけてみましょう。自分は、本当にそれを克服したいか? ためらわずに「そうだ」と答えられるなら執着から抜けだせるでしょう。大事なのは自分に正直になることです。そして意志と決断力を持つことです。自分の感情は「自分」ではなく「自分のもの」です。自分の記憶は「自分」ではなく「自分のもの」です。自分は自らの感情や記憶の主なのです。それだから何の未練もなく、もう手放すんだという固い意志を発揮し、その意志を守ればいいのです。

ところが、大勢の人に教えつつ知った事実の一つは、このような道理を簡単に感じ取れない人が思いのほか多いということでした。感情を自分から引き離して客観的に眺められない人が多いのです。それで私は、感情や記憶を目に見える形で形象化したり、想像力を利用して浄化する瞑想法を教えています。感情や記憶を見送る一種の別れの儀式を行なうのです。

次回は、その具体的な瞑想法をご紹介します。

コメントは受け付けていません。