深い瞑想状態に入ると、自分の意識が今どの段階にとどまっているかがはっきり見えます。自分の脳が何にとらわれているかを自覚できます。
ネガティブな意識は、自らを引きずり下ろすお荷物だと気づきます。それを手放せばいいのに、つかんで執着している自分の姿が見えるとハッと驚かずにはいられないのです。それが瞑想です。
いくらつかんでみても、そこにほんとうの答えはありません。苦しみと喜びの間をひっきりなしに行ったり来たりしている回路の中でウロウロしているだけです。
しかし、その妄想を手放せと言えば人々はつらくなります。何かをつかんでいなければ死んでしまいそうなのです。それを手放す代わりにつかめるものを見つけられないのも、理由のひとつです。
人生でつかむべきものはただひとつ、ほんとうの自分、本性です。それが魂であり、神性です。それだけが真実で、永遠なものです。
私たちの脳は、本質的に平和を好みます。脳の性質が平和とバランスだからです。
明るく笑う子どもを思い浮かべてみてください。子どもの脳は限りなく平和です。
ところが成長するにつれ、ネガティブな情報によって脳の平和とバランスの感覚が次第に鈍っていきます。競争したり、衝突したり、けなしたり、争ったり、奪ったり、支配したりする情報が脳を占領するのです。
こうした情報にとらわれて私たちは本来の脳の状態をだんだん忘れていきます。
脳の感覚を回復しましょう。それは新しい感覚を探さなければならないような馴染みのないものではありません。
生まれたときから私たちの内にあったけれど、これまで忘れていた感覚を目覚めさせることなのです。
その方法は「空(から)にする」ことです。脳を支配している人為的な思考や感情、欲望を眺めて空けるのです。
空けるというのは、その情報に執着したり縛られたりしないということです。その情報は虚像や妄想だと気づき、そこから自由になることを意味します。
何度も空けて空にしていると、脳の本来の特性である平和とバランスの感覚が回復し始めます。
脳の中でうるさく鳴り響いていた雑音が止み、純粋意識の状態になります。そのとき、脳の中で明るい神性の光と出会えます。
自分の脳が平和と均衡を取り戻し、明るく輝いている様子を思い描いてみてください。その明るい光、生命のエネルギーが脳の本来の性質、神性です。
神性は特別な人だけにあるのではありません。寺に行って経典を読んだり何かを信じたりしなければ経験できないのでもありません。
脳が正しく作動している人なら誰でも体験できます。半神半獣と言うように、人間はもともと神の性質を備えているのです。
本性に集中して内面に入っていくと、意識の海の奥深くで神性と出会えます。そして、その神性はすべてとひとつに通じていることに気づきます。
私たちが各自、脳の中で平和の感覚を取り戻すとき、世界にも本物の平和が宿り始めます。
すべての答えは、自らの内に、脳の中にあります。
一指 李承憲著『コネクト』