久しぶりに韓国に戻って天気予報を見ていると、アメリカとは異なる独特なことが一つあります。アナウンサーがPM2.5濃度を予報するのです。「とても多い」という日に外出すれば、すぐに目が痛くなり、喉がヒリヒリするのが感じられます。
2000年以降、日中韓の環境科学院が10年間共同で研究した資料によると、韓国のPM2.5の30~50%は中国から飛んできたものと分析され、2013年以降は中国からくるPM2.5による汚染度がますますひどくなっています。石炭への依存度が約70%の中国で産業化が加速したことにより、PM2.5が国境を超えて周辺国家の大気までも汚染しているのです。
人間の生命の源は自然だから、自然が病めば当然人間も病みます。すでに世界で環境汚染による人間の疾病が休息に増加しています。米コーネル大学のデビッド・ピメンテル教授とコーネル大学院チームは、人口増加、栄養失調、様々な環境汚染が人間の疾病に及ぼす影響に関する120以上の論文を研究した結果、世界の死亡率の40%は、水質、大気、土壌汚染によるものと発表しました。
地球環境が健康にならなくては、人類が120年の寿命を享受するというのは幻想に過ぎません。アフリカのチャド共和国は、きれいな飲水の不足と病気や栄養失調などにより、平均寿命が49歳にしかなりません。自分自身と家族だけでなく、自分が属する共同体、さらには地球環境を、共同で改善してケアする努力を傾けなければ、環境は回復不可能な状態にいたり、遠からず人類が生命を存続することさえ困難になるでしょう。
地球環境回復のために、これからは成功という価値を超えて完成という価値に向かって進んでいく必要があります。自然は成功のために開発し搾取する対象でしかないという物質主義をもとにした分離意識によって環境が損なわれ、環境に無関心になりました。世界は分離しているのではありません。世界のすべては、空気で、水で、風で、日光で、つながっています。国境にどれほど高い壁を築いても、エネルギーの流れを遮ることはできません。ある国だけを豊かにするために高い壁を築いて多くの規制しても、隣の国が貧しく不幸なら、その影響はその国に戻ってくるようになっています。
私が『人生120年の選択』という本を書いた理由の一つは、60歳からの人生の後半期に入った人、またこれから生きていくすべての人に、私たちが人生の後半期をどのように生きていくかによって、世界をよい方向に変えられるという信念を分かち合いたかったからです。
人類がいつまでも外形的な拡張だけを考え、地球を破壊し、仲間である人間と他の生命体に莫大な被害を与えながら生きていくなら、延びた人類の寿命が地球にとって祝福とばかりは言えません。人生の年長者として、自分の暮らしだけでなく地球と人類全体をよりよい方向に改善していく手助けをしようと努める責任が、シニア世代にあります。
私は随分前から地球市民スピリットを伝えてきました。このスピリットのポイントはとても単純です。私たちは、特定の国家や人種、宗教の構成員である前に地球の市民だから、地球のことを考えて生きていかなければならないのです。肌の色が異なり、異なる言語を使っていても、私たちを一つにつないでくれる共通項は、地球という星で共に暮らしている、同じ人類だということです。
今年に入って、フェイスブックの創業者であり最高経営者であるマーク・ザッカーバーグがハーバード大学の卒業式で行ったスピーチで、世界市民という概念を語っているのを見て、うれしくてたまりませんでした。ザッカーバーグのように社会的影響力の大きいリーダーが、地球市民スピリットを広く知らしめ、グローバルなつながりをつくっていけば、確実にポジティブで有意義な変化を創造できます。
よりよい地球市民生活のための第一歩は、自分の人生に主人意識と希望をもつことです。自分を信じることができない人は、他の人や社会を信じることも希望を抱くことも難しいのです。それは地球に対しても同じです。「地球の問題は誰かが解決してくれるだろう。リーダーや専門家がやるだろう」と受動的に考えたり、「誰が何をしても世界は何も変わらない」と悲観的に考えます。
私は自然と一つだと感じ、自分の人生の主人になると、地球と人類の問題は自分自身の問題だという切実さが生まれないはずがありません。そのため、地球と他の生命のためにわずかなことでも自分にできることはないだろうかと真剣に考え、実践しようという意志が生まれます。各自が自分自身の希望になるとき、私たちは地球の希望になることができます。一人ひとりの人生に新たな道が開けるとき、地球と人類にも新たな道が開かれます。
自分だけではなく、他の人や生命の健康と幸せを願う心、よりよい世界をつくるのに少しでも貢献したいという思い、そんな思いが誰にもあります。その思いを生活の中で表現し、実践するのが地球市民の生活です。私の生命の源は自然であり、私がやってきたのも戻るところも自然だという認識、そのような自然を保護し、子孫に大切に残していこうという意識と実践が、人生の後半期を生きていく私たちがもつべき思慮深い責任であり、次世代への大切な贈りものです。