私たち人間は、あらゆるものに名前を付けようとします。
モノはもちろん、自分たちの行動や感情にいたるまで、呼び方を考えます。
人間の言語とは、こうした数々の「名前」から構成されているといってもいいでしょう。
名詞はそもそも名前であり、動詞は動作の名前であり、形容詞は姿や状態の名前です。
つまり、私たちは名前に囲まれて暮らしているのです。
言語は、コミュニケーションに欠かせない手段です。
しかし、言語を構成する名前にとらわれ過ぎることで、真の姿が見えにくくなることがあります。
言葉が真理を歪ませ、変質させる危険性をはらんでいるのです。
言葉は、契約書や取扱説明書、技術解説書のような文書を作るには申し分のない存在です。
しかし、人間の内側やより深い真理に迫ろうとするとき、言葉は限界につきあたります。
心をそのまま取り出して人に見せることはできません。
あなたも、自分の気持ちや感じていることを、言葉でうまく表現できず、
もどかしい思いをした経験があるのではないでしょうか?
私たちが日常的に使っている言語とは、そういう意味では貧弱な表現手段です。
技術を伝える手段としては優れているかもしれませんが、
真理を込める器になるにはとても小さいのです。
真理を言葉で表そうとすることは、網で海をすくい上げるようなものです。
絶えず流れ生きている真理を得るためには、目の粗い網では全てこぼれ落ちてしまいます。
真理の海と遊び、たわむれ、身を任せている時、あなたは海に受け入れられ、
一つになることが出来ます。
真理と一つになること、それは生命の流れと一体になるということです。
現代人は、言葉によって本質を見失いがちです。いわば「情報の監獄」の中にいるのです。
では、どうしたら言葉で表せない真理と一つになることが出来るのでしょうか?
私は、その可能性が気エネルギーにあると考えています。
私は、自分が何者なのかを知りたいと思い、長い時をかけて模索し続けました。
そして「私は天地気運である」という答えにたどり着きました。
天地気運とは、全宇宙に等しく流れる生命エネルギーのこと。
その流れとともに宇宙の心があらゆるものと通じている、
森羅万象、生きとし生けるもののすべては繋がっていると知りました。
私は、自分の体験を周りの人たちに具体的に伝えるために、
体系的な原理を伝える脳教育を編み出し、脳活性化を促すトレーニングを試みました。
これによって、私の体験は多くの人たちと共有することができたと思います。
もちろん体験を共有するだけですべての人に生命の実体を完全に自覚させることはできません。
気エネルギーを活用して何を得るのかはその人の選択です。
気エネルギーは、言葉では決して埋めることのできない隙間を埋めてくれる生命の言語です。
気エネルギーを感じるとき、あらゆるものと共感でき、
エネルギーの流れに乗って伝わる情報を活用できるようになります。
そのような感覚が回復すれば、地球が今どんな状態なのかを数値をあげて説明する必要がなくなります。
地球がどう感じているのかをただ感じるだけで十分なのです。