「情報」という言葉は、すっかり聞き慣れた単語になりました。
これは、パソコンが一般的に使われるようになったお陰のようです。
情報という言葉を聞くと、パソコンがまず思い浮かびますが、私が子供の頃は、
諜報員がやりとりするメモや片手で隠せるカメラで撮影したフィルムのようなものを連想したものです。
いまや情報は日常に用いる言葉のひとつになり、
私たちの人生のほぼすべての分野が情報を中心に成り立っています。
情報の意味が広がり、文字や記号のみならず音楽や絵画も情報と呼ばれるようになりました。
情報が私たちの人生の一部となりましたが、
あなたは一度でも情報の本質について疑問をいだいたことがあるでしょうか?
情報というものは、一体何であり、どこにどんな風に存在するのでしょうか?
■情報は「0」(ゼロ)だ
情報を扱う技術は年月をかけて発展してきました。
それに伴い、情報の定義も変わりました。
印刷技術が発明されてからの数百年間は、紙の上に印刷された文字や記号を情報といいました。
これに根本的な変化が生じたのは、20世紀後半に入ってコンピューター技術が発達してからです。
現代社会では、情報といえばハードディスクなどの
媒体に記録された電子データのことを指すことが多いです。
今後、技術がさらに進歩すれば、情報の定義はさらに変わるかも知れません。
ただ、こうした変化は、情報を記録する方法や道具をめぐるものであって、
情報の本質ではありません。
情報を記録する時に鉛筆や磁気ディスクなどの道具が必要なのは、
情報を扱う技術レベルの限界のせいです。
あなたが頭のなかに浮かんでくるある考えを忘れないようにメモをしたとしましょう。
この場合のメモ用紙とペンは、情報を3次元の時間と空間の中に留めておくために使った道具です。
こうしてあなたの考えは、この世に痕跡を残したのです。
しかし、その痕跡が表現している本来の情報、
あなたの頭の中に浮かんだ最初の考えはどこにどんな形で存在するのでしょうか?
情報の本質とは、時間的にも空間的にも何らとらえてはいないものです。
数学的観点から見ると、それは「0」と同じ性質を持っています。
0に0を加えても0であり、掛けても0です。
また、0であるがゆえにいくらでも複製できます。
情報のこのような性質を私たちはネットワーク環境で経験します。
ある情報が1台のパソコンのモニターに映し出されることもあれば、
数百台のモニターに映し出されることもあります。
インターネット上で数万人が同時に同じサーバーに接続し、同じ情報を見ることもできます。
情報は出力の数とは関係なく存在します。
これが情報の性質であり、0の性質です。情報は0なのです。
たとえば、あなたがパソコンで山の画像を見ているとしましょう。
もしプロジェクターを使って、その画像を映すとしたら、
スクリーンをどのくらい離れた場所に置くのかによって映しだされる映像の大きさは違ってきます。
無限大に離せば、無限大の大きさの映像が作られます。
しかし、無限大であっても情報としてはあくまで「0」です。
10センチほどに小さく映しだされた山も、エベレストほどの大きさで映しだされた山も、
情報の次元では違いがありません。大きさの差は、単にどう映しだすのかの差に過ぎません。
これが、情報が「時間的にも空間的にも何らとらえてはいない」ということの意味です。
■無と空の意味
0の世界は、「無」や「空」と表現することもできます。
無、空、0を水に例えるなら、情報はその水の上に生じた波であり、模様です。
この0の世界の動きをとらえられる繊細なレーダーは、この世に1つしかありません。
それはあなたの心です。
本当に存在の根源を見たいのなら、まずあなたの心をのぞいてみてください。
あなたの周りを見回してみてください。実に多くの物が見えるはずです。
今、私の周りには本があり、電話があり、観葉植物もあります。
あなたの周りにも物がたくさんあることでしょう。
あなたが見ているもの、あなたが考えていること、あなたが想像すること、
そのすべての背景は何でしょうか? それが無であり、空です。
すべての「あるもの」は、その「ないもの」を背景として自らを表現します。
すべての存在は、無を背景に存在しているのです。
無の世界、0の世界は、私たちが宇宙船に乗って宇宙の果てまで行かなければ
触ることのできない存在界の端ではありません。存在するすべてのものの後ろに、
存在するすべてのものの中に、存在するすべてのものと共にあります。
■情報を生産する生命電子
無は海であり、情報はその海に生じる波、模様である。
では、その模様を作っているのは何でしょうか? 私はそれを「生命電子」と呼んでいます。
まるで、電子が磁気ディスクの上を動いて情報が記録されるように、
生命電子は、無・空の世界を動いてすべての模様を作ります。
言い換えれば、情報を生産します。
私たちの人生は、0から始まり0へと戻る大循環の一部です。
虚空から起こり、虚空へと消える生命電子の運動です。
正しく生きるとはどういうことか? 私たちの人生がそうであることを知り、
存在の根源を虚空に置いて、胸には輝かしいビジョンを抱き、今を毅然と生きることです。
正直・誠実・責任感を持って生きる以外に、正しく生きる方法はありません。