幼い頃の私は、体が弱く恥ずかしがり屋でした。
人の前で歌ったり踊ったりすることは想像するのさえ困難でした。
青少年の頃に、私自身と世の中全てのことに
「なぜ?」という疑問をもったために、辛い人生を送りました。
あらゆることに不慣れで適応できず、時々空を見上げては、こう叫んでいました。
「いったい誰が私の許しもなしに、私をここに連れてきたのですか?」
私が悟りを通じて天地気運天地心を自覚してからは、全てのものが変わりました。
なじめなかった社会は私の方に近づき私とひとつになりました。
監獄に囚われているかのように苦しく不自由に思われた私の体が、
ある瞬間とても安らかに感じられました。
自分自身との完全なる一体感を感じるとすぐに、まるで打ち上げ花火のように、
私の中から多くの創造的な感覚やアイディア、インスピレーションが湧き出てきました。
私は歌い、踊り、笛を吹き、太鼓を叩き、書道をし、詩作をするようになりました。
私はこの過程で、自分自身と完全なる合一を感じる状態で
自分自身や対象を表現することが、芸術と創造の本質だということに気づきました。
一体感を感じると自分と対象に没頭でき、自分の中の生命が固有のリズムでパッと
花開くのだということがわかりました。 その生命のリズムを、恐れず、恥ずかしがらず、
分別せずにありのまま表現するとき、全てのものは芸術になります。
重要なのは自らのリズムを探し、そのリズムをどんどん表現してみることです。
自分を表現する過程で自分自身への親しみが生じ、没頭が深まります。
自分のリズムを探すことなく他人のリズムを真似るだけでは、
細かいコピーはできるものの、真の創造にはなりません。
これから何回かにかけて、自分のリズムを探して
自分を表現する原理と方法に対して話したいと思います。
私は「歌いなさい。踊りなさい。詩を書いてみなさい」など、
あなたをけっこう面倒がらせるかもしれません。
心配や悩み事はそのまま流れるように放っておいて、
子供のようにこの過程を楽しんでみてください。
心からの喜びと満足がなければ没頭できなくなり、
自分を表現するのに気恥ずかしい気持ちが割り込みます。
気恥ずかしいと思うと、それを見ている人も申し訳なく感じます。
次回は歌を通して、自分自身の声を探す方法について話したいと思います。
さあ、準備できましたか?