地球のすべての生命は「特別」である

私たちは、心のどこかに「自分は特別だ」という意識を抱きやすいです。
「自分は特別だ」という意識は、個性や自分らしさを磨く原動力になりますが、
この意識が強すぎたり、誤った方向に向かったりすると、
他者との対立や差別を生むことになります。

「自分は特別だ」という意識は、
「他の人と比較して特別でありたい」という相対的なものに陥りやすいです。
しかし、すべての生命現象は自分の努力に関係なく、それ自体で特別です。
咲く花はどれも美しさを持っています。
これは絶対的な特別さであり、他の対象と比べる必要はありません。

それでもあえて人と比べ、より特別であろうとするのは、
「注目されたい」「認められたい」という欲求があるからです。
裏を返せば「認められないかもしれない」という恐れや劣等感が存在しているのです。
これは、歪曲されたエゴの表現の一種だといえます。

「特別でありたい」という思考が集団レベルで高揚すると、他の集団とのあつれきを生みます。
「自分たちは、選ばれた集団だ」という身勝手な考えによって、
他の集団や組織を差別する排他的な思想や行動が生まれます。
このような考えが、世界平和を脅かしてきたことは言うまでもありません。

今、私たちに必要なのは、自分が所属する集団が特別だと考えるのでなく、
地球に所属するすべての生命が特別だと気づくことです。
それは地球を中心とした価値体系であり、地球人の意識です。
私たちは、日本人、中国人、アメリカ人、韓国人である前に、地球人なのです。

国際社会を構成するのは、それぞれの国家の市民です。
それと同じように、広大な宇宙世界を構成するのは、地球人です。
人間のような知性のある生物が住む惑星に旅行をしたと想像してみましょう。
その惑星に着いた時、その生物から「どこから来たのか?」と尋ねられたら、あなたは何と答えますか?
「私は日本人です」と答えるのではなく、「私は地球から来た地球人です」と答えるでしょう。

実は、世界に住む私たちの生活様式の多くは、自分で意識している以上に、
地球人のものになっています。あなたは自分が、ある国家、ある宗教、ある民族の構成員にすぎず、
自分の属する集団と根本的に区分される他の集団があると思っているかも知れません。
しかし、そうした意識は、生活世界の変化に追いつけない私たちの頑固な習慣や記憶にすぎません。

地球には初めからただ一つの地球があっただけで、今もそうです。
そのほかのすべての境界は人為的であり、便宜的なものにすぎません。
人間が人為的に作ってきた境界は、現実で起こる変化の圧力によってすでに壊れています。
地球人はもはや、観念的な単位ではなく、私たちの具体的な現実なのです。

地球を愛するというのは、単純に地球環境を保護するという意味ではありません。
地球を一つの共同体として認識し、私たちが家族の構成員として家の面倒を見たり
良識のある市民として国を愛するのと同じように、地球人としての誇りを感じ、
地球共同体に対する自分の責任と役割を果たし、そこにやりがいや幸せを感じることです。

私たちが地球を中心としたより大きな価値体系を受け入れる時、
それより小さな価値の違いからくる優越感や敵意は消えてなくなります。
そして、民族や国家の違いは対立の要因ではなくなり、豊かさの源となります。

私たちが地球人になるために特別に学んだり、準備しなければならないことは何もありません。
学ぶべきことがあるのではなく、それまでの自分のアイデンティティとそのアイデンティティを
支えてきた信念体系がもはや状況に合わないことを直視し、
まるで体が大きくなってこれまで着ていた服を脱ぎ捨てるように、
その情報の殻を脱ぎ捨てるという選択が必要なのです。

あなたが子供の頃に着ていた服が小さくなって、
もう着られなくなったときの感じを思い出してみてください。
これまで着ていた服を脱ぐ時、あなたはその服を憎むでしょうか?
その服は今まであなたの体を包み、冷たい風や熱い太陽からあなたを守ってきました。
あなたが安全に成長できるよう、守ってくれました。
あなたにとって、その服を着て生きてきた日々は依然として楽しい記憶として残っています。

ただ、あなたが大きくなったので、その服が必要なくなったにすぎないのです。
体が大きくなり、服が合わない時は、服を脱ぐのが自然なことであり、
その服に執着するのがおかしなことです。
それと同じように、地球人になるというのは、
何を捨てるのでもなく、ただありのままの私たち自身になることです。

私たちがはっきりと認識すべきことは、地球が私たちの星ではなく、
私たちが地球の生命体であるということです。
地球にとっては、宗教、思想、血統、肌の色に関係なく、全人類が地球人です。
そして、人類は地球を拠り所として生きる多くの生命体の一つに過ぎません。

地球にとっては、人類は特別ではなく、
ましてや、ある民族や集団が特別だということはあり得ません。
地球の視点から見れば、それぞれの構成員に優劣はないのです。
その事実を直視したとき、自分だけでなく、
すべての生命体が特別なのだという意識が芽生えるはずです。

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