21世紀の健康概念としての精神の健康

21世紀が始まる前に起こった変化のうち、喜ばしい点をいくつか挙げるなら、
「健康についての定義の変化」を挙げたいと思います。
1998年、世界保健機関(WHO)は「肉体的にも、精神的にも、社会的にも、
すべてが満たされた状態」という健康の定義に「スピリチュアル」という概念が新たに付加されました。

これまでは、霊性(スピリチュアリティ)や魂の問題は、
宗教の専有物のように思われてきた点を考慮すると、
世界保健機関が健康の条件として霊性を取り上げたのは、とても意味のあることです。

これは、栄養状態や平均寿命などのような量的な要素だけで説明できない健康の次元があり、
それが人生の質を決定する本質的な要素であることを理解し始めたということを示すからです。

霊性は、私たちの中にもともと与えられている完全性であり、悟りです。
これを神性ともいい、明るい心、良心ともいいます。
これがあるがゆえに、私たちは自分が完全ではない時に完全でないことを知り、
バランスを崩した時にバランスを崩したことを知るのです。

理性が意味を理解する能力だとすれば、霊性は意味を創造する能力です。
理性が手段と方法を強いる能力だとすれば、霊性は目的を創造する能力です。
霊性があるので私たちは自分が誰であるのかを質問して人生の目的を知ろうとし、
存在の根源に行き着こうとし、存在するあらゆるものがその根源でひとつであることを分かるのです。

そのために霊性を回復して霊的な健康を図ることが、目的の喪失、価値の不在、
意味の貧困に特徴づけられる私たちの社会の深い病を癒すカギとなるのです。

それなら、社会を治癒できる霊性の具体的な内容には、何があるのでしょうか?
霊的な健康を示す指標には何があるでしょうか?

第一に、人生の目的を知ることです。
よく人生を旅に例えますが、目的地がどこで、自分が今どこにいるのかを分かれば旅になり、
そうでなければ彷徨っているにすぎないのです。

なぜ、ここに来ているのか分からず、どこへ行くべきなのかも分からないので、ただ人生の周りをさすらい、
わらにもすがる思いで人生のいろんな出来事に意味を付与しようと骨を折っているのです。
そうして、些細なことに命をかけたり、歌や野球の試合に熱狂したりもします。

2つ目は、世の中の役に立とうという心です。つまり、弘益しようという心です。
これは存在するすべてのものの根源がひとつであることを分かり、
生命がひとつにつながっていると分かることから出てくる心です。
より具体的には人間愛、地球愛と表現されます。

3つ目は、開かれた心です。開かれた心は、自分の存在の根源を知り、
人生の目的を分かる人だけが得られます。
「何を」が明確なので、あらゆる「どうやって」に対して柔軟になれる心です。
人生における経験のすべては、霊的な存在として自らの完成のために活用すべき道具であると分かっているので、
その経験に対して開いた心でいられ、また柔軟になれるのです。

4つ目は、調和です。言い換えると、よく遊ぶことです。
霊的で健康な人は、人とはもちろん、天とも地とも調和してよく遊べ、うまくやりとりできます。
目的が明確で、根源がひとつであることを分かり、心が開いているので、よく通じ、
よく調和し、うまくやりとりできるのです。

最後、5つ目は良心です。何が正しく、何が正しくないのかを分かることです。
正しいこと、正しくないことは時代や社会によって変わることもありますが、
何が正しいのかを分かる能力と正しいと判断したことを選択しようとする意志は
もともと備わっているものです。
その真実に向かおうとする意志、正直になろうとする意志を良心と言います。

要するに、霊的に健康な人とは、霊的な完成である究極の人生の目的を分かり、
世の中に広く役立とうとする弘益の心があり、良心的であり、開いた心で人生に対峙し、
すべてとよく調和して良い関係を築ける術を知っている人です。

霊的に健康でなければ、体が丈夫なことや頭の良いことが返って
自分や周りの人の健康を害する武器になることもあります。
同様に、あるコミュニティにいても霊的な自覚がなければ、物質的な豊かさや発展した技術、
先端情報が人類だけではなく、地球のすべての生命の生存にとって脅威となり得ます。
今、私たちが見ているように。

21世紀を生きる人類に霊的な健康は何より重要な概念です。
ライフ・パーティクルの発見には、人生の目的と自らの生存価値をはっきりと分かって実践することによって、
自分と世界、ひいては地球に役立とうとする霊的に健康な人類の誕生を願う意味が含まれています。
今はライフ・パーティクルを活用し、あらゆる生命を生かして利する霊的に健康な人類、
新たな人類の誕生が必要な時なのです。

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