120歳まで生きるという選択

私たちは今、人類史上類を見ない超高齢時代と長い老年期を迎えています。医学的に究明された人間の寿命は120歳と知られ、老化を遅らせるテロメア伸長技術の発展により、人間の寿命をどこまで延ばせるかにも関心が高まっています。老年を否定的に眺めていた社会の見方も大きく変わり、成功した老年期を過ごすためのアドバイスが本屋インターネット、テレビなどに数多くあふれています。

私は今年5月に、ある本の脱稿を終えました。本のタイトルを『120歳まで生きるという選択』と決め、数日前に出版社から送られてきた表紙を受け取りました。120歳という選択は、私にとって今年のビッグニュースであり、私の人生において歴史的な出来事でもありました。わずか1年前でも、自分がこのような決定をするとは思いもよりませんでした。

数カ月前に父が94歳で他界しました。教職を退いてからも積極的に活動していましたが、80代の半ばを過ぎたあたりから体が衰えはじめ、90歳を超えてからは生活動作が不自由になりました。父の老年を見ながら、なんとなく私は健康に独立した生活ができのは80歳くらいまでと考え、それ以降は人生を締めくくる準備をしないといけないと思っていたようです。

▶102歳のイ・ジョンジンさんとの出会いで年齢について考え直した

私は2008年にカリフォルニア州立大学サクセスフル・エイジング・センター所長のジェシー・ジョーンズ博士と『In Full Bloom 成功した老年期のための脳教育ガイド』という本を出しました。この本では、単に長生きするのではなく、「健康で幸せに自分の夢を叶えながら長く生きる」長寿ライフスタイルを紹介しました。しかし、このときも私は、人類社会が100歳時代を健康で幸せに迎えるための準備が必要だと思うだけで、自分が100歳以上生きられるとは思っていませんでした。

そんな私が今年、120歳まで生きると選択しました。今67歳なので、あと53年生きることにしたわけです。この選択には2つのきっかけがありましたが、1つは年齢に関する考えを変える出会いがあり、もう1つは私が生涯追求し、努力してきた人生の目的に関することでした。

5年前の冬、韓国で102歳のイ・ジョンジンさんとゴルフをし、会話を交わす機会がありました。この方は、その歳でゴルフをするほどかくしゃくとして活気にあふれており、楽天的で機転が利き、話をしていても楽しい方でした。

その前にもテレビなどで100年時代の到来を伝える様々な指標や世界の長寿者のインタビューに何度も接しましたが、100歳を超えている方と直接会って話を交わした経験は、私の脳に大きな衝撃を与えました。

100歳を超えた人間の身体から、こんなにも活気と精神力をほとばしらせることができるとは大したものだと驚きました。その後、イ・ジョンジンさん以外にも100歳近い年齢で健康で活気あふれる暮らしをしている印象的な方にたくさん会いました。本当に人生100年時代が近づいており、すでに多くの方がそのように生きているということが肌で感じられました。驚くほど延びた人間の寿命がただニュースに出てくる興味深い数字や他人事ではなく、「私の問題」に感じられ始めました。

そして、これらの出会いや一連の省察の末に、老年に関する考えを劇的に変える選択をしました。私は120歳まで生きることにしました。120歳は、生物学的に可能だと言われる人間の潜在寿命です。私たちの前に広がる長寿時代が人間に許す最大の数字を私の寿命と決め、120年という長い目で人生を新たに設計し直すことにしました。

▶私には必ず叶えたい夢がひとつある

私が120歳まで生きると選択した根本的な理由は、私が生涯、使命と思ってきた私と社会と人類のための大きな夢と責任からきています。私は、2年前にニュージーランドの北島にある小さな街ケリケリで、あるプロジェクトを始めました。47万坪の美しい森で、人間と自然が交わりながら生活する場所をつくること。数百人が数週間または数カ月間とどまり、自主的で自然にやさしいライフスタイルを体験する居住型学校とコミュニティを造成すること。それがアースビレッジプロジェクトです。

私はアースビレッジを通して、ここを訪れる人々が美しい自然の中で本当の自分に出会う空間を創造したかったのです。また、地球全体が真の意味でひとつの村、アースビレッジになり、調和と共存、平和があふれる世界のモデルを多くの人とともにつくっていきたかったのです。そのプロジェクトの責任を担い、完成させるために、私は120歳まで生きると選択しました。

私は、この本の執筆を始めた頃、ある新聞で紹介された韓国の湖西大学設立者の姜錫圭博士の手記を見ました。彼の文を読んで、私はとても考えさせられました。以下に全文を掲載します。

私は若い頃、熱心に働きました。
その結果、私は認められ、尊敬されるようになりました。
そのお蔭で65歳のとき、堂々と引退することができました。
そんな私が30年後の95歳の誕生日に、どれほど後悔の涙を流したかしれません。
私の65年の生涯は、誇らしく堂々としていましたが
その後の30年の人生は、恥ずかしく悔やまれる悲痛な人生でした。
私は引退後、「もう十分生きた。残された人生は、おまけだ」と考え
ただ苦しまずに死ぬことだけを待っていました。
むなしい希望のない人生、そんな人生をなんと30年も過ごしました。
30年という時間は、今の私の年齢、95歳の3分の1にあたる、とても長い時間です。
もし私が退職したときに、あと30年生きられると思えば
こんな風には生きてこなかったはずです。
そのとき私は、自分が年老いた、何かを始めるにはもう遅いと思っていたのが大きな過ちでした。
私は今95歳ですが、意識ははっきりしています。
あと10年、20年、生きるかもしれません。
私はこれから、やりたかった語学の勉強を始めようと思います。
その理由は、ただひとつ
10年後に迎える105歳の誕生日に
95歳のときになぜ何も始めなかったのかと後悔しないためです。

姜錫圭博士は95歳のときに、自分には老年期の設計がなかったということが分かり、後悔しました。そして、そのときから自分の人生を積極的に設計し、100歳の頃にも講壇に立ち、自分が人生で学んだ知恵を社会と分かち合い、103歳で亡くなられました。

▶選択する人生は異なる。120歳を選択すれば人生の後半期が変わってくる

私は、姜錫圭博士の手記を読みながら、人類史上最高の長寿時代を私たちがどのように準備するかによって、これが悲劇にも祝福にもなると痛感しました。引退後の人生が前半期の人生のおまけだと考え、何の夢も計画ももたなければ、本当にそのように生きることになります。しかし、人生の後半期が新たな機会だと思い、積極的に設計し、準備すれば、前半期よりもずっと充実してやりがいのある人生の黄金期にもできます。

人生の後半期を最も積極的に設計する方法は、自分が何歳まで生きるかを前もって選択することです。そして、残された自分の人生に明確な目的や計画をもつのです。生きてきて90歳、100歳になったというのではなく、「私はこのような目的と夢をもって120歳まで生きる」と選択するのです。

もちろん選択したからといって誰もが120歳まで生きられるわけではありません。しかし、そんな選択によってより積極的に健康管理をするようになり、肯定的な生活習慣を育て、よりよい人間関係を結ぶために努力するようになります。人生の最後の瞬間まで成長を止めることなく絶えず自己啓発しながら、よりよい人間になろうとするはずです。

そんな意味で、私は多くの人が120歳まで生きると選択してほしいと思っています。私は120歳の人生が決して不可能な夢ではないと思います。長寿の遺伝子をもつ特別な人だけが享受できる奇跡でもありません。私のように人生の後半期に差し掛かった人も、誰でも十分にチャレンジできる目標です。私は120歳の人生がただ私たち個々人の長寿プロジェクトではなく、人類全体の進歩のためのグローバルプロジェクトになるべきだと思います。

延びた寿命が個人の生活の質を高めるだけにとどまらず、地球に何を残せるかを共に悩もうと、あなたに提案したいです。長寿が私たち個人だけでなく、私たちが愛する人々や、私たちの生命を支えてくれている自然や地球にとっても恩恵となるようにする責任が私たちにはあると思います。そのような意味で私たちが120歳の人生を選択するのは、新たな人間の価値、地球の新たな文化を創造するための選択でもあります。

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